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『ネルソン・マンデラ釈放の真実』トークショーレポート

12月5日(月)はネルソン・マンデラ氏の命日でした。そこで、当館にて上映中の『ネルソン・マンデラ釈放の真実』上映後に映画ジャーナリストの野島孝一さんを招いてトークイベントを開催しました。野島さんには、本作の根幹にある南アフリカ共和国の歴史やアパルトヘイトという政策について、そしてネルソン・マンデラ氏を描いた映画についてお話しいただきました。
野島さんにお話しいただいた内容をご紹介します。『ネルソン・マンデラ釈放の真実』をご覧になった方にも、これからご覧になる方にも、本作について、そして南アフリカやネルソン・マンデラ氏についてより深く知っていただけると思います。

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ただ今ご覧いただきました『ネルソン・マンデラ釈放の真実』。これはドキュメンタリーで、しかもなかなかご本人が出ていらっしゃらない、最後になってやっと出てくるという展開なので、これは何だろうと、よくわからんと思われる方も多いかと思います。なので、その背景から少しご説明させていただきますね。

当時、マンデラさんという存在は世界中でかなり大きな位置を占めていました。アメリカやロシア―当時はソ連ですね、という世界各国が南アフリカの現状を非常に認識しながら、どういう風に対処したらいいかと考えていた。そこで経済制裁という選択をしたら、南アフリカの方が非常に頑なになってしまってですね、なお一層アパルトヘイトをやめなかったということがありました。
そこでマンデラさんの釈放を巡って、ジャック氏が暗躍した、というのがこの映画の背景にあります。
こういう話は恐らくあまり知られていないということで、本作が公開された後も非常に話題になり、ドキュメンタリーの様々な賞を受けました。

ただ日本人にはあまり馴染みがないですよね。日本人がアフリカへ行くというのは観光だとエジプト辺りまでになってしまって、そういう意味では日本人にとってアフリカというところ自体が馴染みの薄い場所なので、関心も持たれにくいのではないかと思います。

そういうわけで、南アフリカのお話をさせていただきますね。

南アフリカの歴史とアパルトヘイト

そもそも、アフリカの中で南アフリカとう国はかなり特殊な国なんですよね。うまいこと白人が支配してきたということがあるわけですけれども、その支配の仕方というのがちょっと複雑というか。
まずオランダが1700年代に南アフリカへ植民として入ってきました。というのは、南アフリカには喜望峰というアフリカ最南端の岬があり、その側にケープタウンという町がありまして。そこからオランダ人がどんどん入ってきたわけです。その人たちが住み込んで、農業をやったりして黒人をつかって生活をしはじめたんですね。それが続いてくると、今度はイギリス人がそこに目をつけまして、統治しようと入ってきたんです。
当然オランダ人とイギリス人は仲が悪くなって、ボーア戦争というのが起こってしまいます。
オランダ人の子孫をボーア人と呼びますが、このボーア人たちが治めている土地にイギリス人が入ってきて、権益を争ったわけです。何故イギリス人が入ってきたかというと、ダイヤモンドや金という重要な資源が出てきたからなんですね。そういうことになると今度はボーア人が怒ってイギリス人を追い出そうということになります。そこにイギリスの軍が入ってきて、ボーア人と戦争を始めたために、ボーア戦争というのは起こりました。
この戦争は一次と二次とありまして、第一次は1880年~81年、日本だと江戸時代の最後の方でしょうね。この時はボーア人が勝つわけです。映画の中でも「ボーア戦争でイギリス人を30万人殺した」という発言が少し出てきましたけれども、これはきっとボーア人の子孫が言っていることだと思います。当時のイギリス人は赤い軍服を着ていまして、赤いから狙撃されると狙われたり殺されやすいんですよ。イギリスの軍隊というのは正々堂々と攻めようという体制ですから、ばたばたと倒れていってしまった。こういったイギリスの戦闘については『ズール戦争』という映画でよく描かれているのですが、第一次ボーア戦争時、イギリスは負けてしまった。
だけれどもイギリス側も黙って引き下がるわけにはいかず、今度は第二次ボーア戦争というのが起きた。それが1899年~1902年で、今度はイギリスが勝つわけです。これを機に南アフリカはイギリス、連邦国の国になりました。
ボーア人は負けて、自らをアフリカーナと呼んで二等国になってしまった。南アフリカ自体に、一番上がイギリス人、次がボーア人(アフリカーナ)、その下に黒人、という階級制度みたいなものができてしまったわけです。

あまり仲が良くないまま白人同士の軋轢があり、いろいろな問題が生じたりしましたが、1934年にイギリス連邦南アフリカとして一応独立が認められて、第二次世界大戦にも連合国側で加わったというような歴史があります。

アパルトヘイトというのは、1948年頃から選挙で選ばれた国民党が南アフリカを支配するようになり、この国民党が始めました。1948年というと第二次世界大戦が終わった後ですね、そこからアパルトヘイトという政策が始まったわけです。
「アパルトヘイト」といのはアフリカーナ語、つまりオランダ語です。差別とか隔離、分離とかいう意味だそうです。
そうやってアパルトヘイトが始まってしばらく経つうちにマンデラさん達の運動、アフリカ民族会議(ANC)が起こってきます。そして1962年、マンデラさんは逮捕されてしまい、1964年に刑務所に入れられてしまうわけです。結局27年間刑務所暮らしをさせられて、1990年にやっと出てこられた。その後、93年にノーベル平和賞を受けて94年の選挙で大統領になったということですね。
亡くなったのは2013年の12月5日、3年前ですね。95歳でした。あんなにひどい刑務所生活を受けた人にしては長生きされた。ずいぶん苛酷に拷問されたりいじめられたりしたこともあったようですから、それにしてはとても長生きされて、晩年は世界の平和に尽くされたということですよね。

さて、こうしてお話ししてきた南アフリカ共和国やネルソン・マンデラさんについては、たくさんの映画で描かれてもいますので、そちらをご紹介していきますね。

南アフリカが描かれた作品

まず、リチャード・アッテンボロー監督の作品。彼はイギリスの俳優で非常に良い演技をされた方ですが、監督としても才能のある方です。

彼が撮った『ガンジー』という映画で、我々日本人は南アフリカのアパルトヘイト、人種差別の政策というのを初めて思い知ったといえるでしょう。1982年制作の本作は、アカデミー賞で8部門を受賞しました。作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞…みんなさらっていったというくらい、大変評価されましたね。マハトマ・ガンジーを演じたのは、ベン・キングズレー、今でも映画で時々お見掛けする俳優さんですけれども。
だいたい時代は1890年代、舞台はイギリス領のインドで―――そう、南アフリカと同じなんです。南アフリカもインドもイギリスの占領下にあったというか統治下にありました。そしてガンジーさんは弁護士―――これも同じなんですよね、マンデラさんと。これがなんだか不思議といいますか。
このガンジーさんが弁護士として南アフリカに来るわけですよ、仕事で。列車に乗って向かう中で、一等車に乗る。そしたら車掌がきて「何だお前」と…彼は有色人種で色が黒いので、一等車に有色人種が乗ってはいけないというわけです。「三等車に移りなさい」と言われるのですが、ガンジーは「いや、ちゃんと切符は持っていますから私は乗る権利がある」と言うんです。すると列車から放り出されてしまう。南アフリカでの人種差別のシーンが冒頭にきているんですね。

続いて、アッテンボロー監督は1987年に『遠い夜明け』という作品を作りました。
これは本当にあった話なんです。これはもろ南アフリカのお話。『ガンジー』の場合は南アフリカでの一件の後、インドに帰ってからのガンジーさんの活躍とか世界に与えた影響というのが出ているわけですが、この『遠い夜明け』は南アフリカそのものです。
地元ヨハネスブルクの新聞「デイリー・ディスパッチ」の記者がケビン・クラインで、白人の記者なわけですが、彼がある事件を目撃します。それはスティーヴ・ピコという、マンデラさんのちょっと前の時代に黒人の解放運動をやっていた実在する人物ですが、この青年が、警官に虐殺されるわけです。拷問されて弱っているのに助けられずにそのまま死んでしまう。この若きピコをデンゼル・ワシントンが演じています。―――皆さんもよくご存知かと思います、今度『マグニフィセント・セブン』という西部劇が1月に公開されますけれども、『七人の侍』のアメリカ版というか、そういう感じですよね。それで志村喬さんが演じた侍の棟梁役を演じていますが、そのくらい活躍されている俳優さん―――彼が若い頃にピコという殺された青年を演じています。
その事実を知ってしまった白人の記者が、今度は警察に見張られ、監視され、記事に出させないよう追いつめられてしまうわけです。それでこの記者が海外に脱出する。神父さんに化けて命からがらイギリスに脱出する、という映画です。

このアッテンボロー監督の映画2本によって、南アフリカの状況というものが日本人の観客にも分かったわけですよね。そのうちにマンデラさんのこともだんだん分かってきて、マンデラさんの映画も少しずつ評価され、日本に入ってくるようになったんです。

ネルソン・マンデラ氏が描かれた作品

まず、2007年の『マンデラの名もなき看守』と作品。これは実際にマンデラさんの刑務所の看守だった方が書いた本を元にした映画ですね。
ジョセフ・ファインズというレイフ・ファインズの弟さんが看守役をやりました。奥さんがダイアン・クルーガー。マンデラさんをデニス・ヘイスバートという役者さんが演じています。マンデラさんは1964年に終身刑を受けて刑務所に入れられる。その刑務所、ロベン島といいますが、ここはケープタウンから12キロも離れた孤島、そこへ送られるわけです。脱出はまず不可能でしょうね、まわりにサメがうようよしているような所ですから。そこでのマンデラさんの姿を、白人看守―彼もアフリカーナだと思うんですが―の視点から描いています。

その次が『インビクタス 負けざる者たち』ですね。2009年にクリント・イーストウッド監督が撮りました。なので、かなり有名にもなりましたよね。
これは1994年にマンデラさんが大統領になった後の話。95年に南アフリカでラグビーのワールドカップが行われたわけですが、その時にマンデラさんがどのような行動をとったか、という話ですね。白人ばかりのチームで、黒人はたしか一人いたと思いますが、しかもアフリカーナが多いわけです。そういう選手たちの中でマット・デイモン演じるキャプテンと話し合う。白人のスポーツであるラグビーを黒人も楽しめるようなスポーツにならなければいかんということで、一生懸命努力されてチームも強くなっていく…という話ですね。
イーストウッド監督だからとっても上手く撮っていたなと思います。ラグビーを知らない人も多かったけど、そのころからけっこう日本のラグビー熱も盛んになっていった印象があります。

次は割と最近、2013年に作られた『マンデラ 自由への長い道』という映画です。
これはマンデラさん自身が書いた手記を元にして作った作品です。若いころに弁護士活動をしていた時期からの話で、イドリス・エルバ―デンゼル・ワシントンを継ぐだろうといわれている、来年公開される作品(『Bastille Day』)でも主役をやっている俳優ですけれども―がマンデラさんを演じています。
若き弁護士だったマンデラさんと奥さんとの間に子供ができるのですが、マンデラさんがAMCの活動に没頭していくので奥さんが不満に思って別れてしまう。その後にウィニーさん―『ネルソン・マンデラ釈放の真実』の中に出てきましたよね、映画の中ではナオミ・ハリスが演じていました―彼女と出会って、ロマンスがあって結婚して…。このウィニーさんとのエピソードも中心に置かれて描かれています。マンデラさんは結局ウィニーさんとも別れて、3人目の奥さんと結婚されましたけれども(笑)。

この3本の映画が、マンデラさんを題材にしているものです。こういうものを見ながら、マンデラさんがどんな人だったのかということを改めて知ってもらえればと。私は、映画というのは見れば見るほど知識が増えるものだと思っていますので、これを機会にアフリカの情勢とか、色んなことを考えていただけたら嬉しく思います。

ちなみに、南アフリカ共和国はいまエイズが非常に流行してしまっていますね。これはアパルトヘイトをやっていた頃から「黒人問題だから」ということで国がエイズに対して何もしてこなかった、そういうことが反映されて、アフリカの中でも南アフリカは大変なことになってしまったという経緯があります。残念なことです。政治と映画というものを通しても、色々と考えていただければと思います。


『ネルソン・マンデラ釈放の真実』は、12月16日(金)まで当館にて上映中です!
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(C)INDELIBLE MEDIA PTY LTD

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